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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(行ツ)115号 判決 1984年9月20日

熊本市新市街五番一三号

上告人

木下富雄

右訴訟代理人弁護士

柏崎正一

野村宏治

熊本市二の丸一番四号

被上告人

熊本西税務所長

田中光則

右指定代理人

小鷹勝幸

右当事者間の福岡高等裁判所昭和五一年(行コ)第九号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和五五年六月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人柏崎正一、同野村宏治の上告理由第一、第二、第四について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の見解を前提として原判決を非難するか、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第三について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤崎萬里 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一)

(昭和五五年(行ツ)第一一五号 上告人 木下富雄)

上告代理人柏崎正一、同野村宏治の上告理由

第一、本件所得税更正処分等には重大かつ明白な瑕疵があり、原判決にはこれについて法律の解釈、適用を誤つた違法がある。

一、原判決は「博覧会の期間中に会場で有限会社白鳥及び木下辰則の経営していた食堂の売り上げ金や牛乳、ジュース等の販売をしていた弘乳舎の売り上げ金等も前叙菊博木下富雄名義及び中島朗名義の各普通預金口座に預け入れられていたのではないかとうかが(わ)れないでもない」と認定しながら、「しかし、このように、被控訴人が右各預金口座に預け入れられた金額をすべて控訴人の収入と認定したことは、調査不十分のそしりを免れないとしても、前叙各課税処分がなされた経緯に照らすと、右瑕疵は重大でなく仮に重大であつたとしても、同課税処分当時において、外形上、客観的にその瑕疵が明白であつたということはできない」と判示している。

しかし、牛乳、ジュースの預け金の合計は計八百数十万円で、更正後の所得金額(八、七六二、六七九円)に相当する。すなわち、もし右預け金を正しく考慮に入れて算定していたならば、所得金額は、上告人主張のとおり、ほゞゼロに等しく、したがつて、所得税更正決定処分をなす根拠を欠いていたことになる。瑕疵はまさに課税要件の根幹に関する重大なものであつたのである。したがつて「被控訴人が右各預金口座に預け入れられた金額をすべて控訴人の収入と認定した」瑕疵が重大でないとした原判決は、瑕疵の「重大性」についての解釈を誤つたか、これについて法律の適用を誤つたものといわなければならないことは明らかである。

二、原判決は、右瑕疵が仮に重大であつたとしても、同課税処分当時において、外形上、客観的にその瑕疵が明白であつたということができない、と判示する。「外形上客観的に明白」とは具体的になにを意味するのか、文言上かならずしも明らかでないが、乙第七号証の一の所得税更正通知書自体の外形から客観的に判断してということであれば、同書面に記載された数字の計算上の誤り、書損じ等でもないかぎり、「明白」な瑕疵というものはそもそもありえないことになろう。課税をいちじるしく不当とするような重大な瑕疵はむしろ、そのような計算違いとか書き損じといつた表面に表われた形式的な過誤ではなく、より本質的に、課税官の当該課税に対する考え方、態度、取り扱い方針といつたものに存するのが通常であり、そのような面での瑕疵はいかに重大なものであつても、数字の誤りとは違つて、更正通知書のような書面自体から外形上客観的にうかがい知るなどということはほとんど不可能である。現代の複雑、技術化している行政処分について瑕疵の有無、その重大性等を判断するには、必然的に行政処分の内容に立入らざるを得ず、立入つた上で当該瑕疵が明白か否かを問題にすべきなのであり、それを、当該行政処分の外形から客観的に判断するなどというのは言葉の綾にすぎず、ナンセンスもはなはだしい。したがつて、原判決が具体的根拠、理由もなく、「被控訴人が右各預金口座に預け入れられた金額をすべて控訴人の収入と認定した」瑕疵が、外形上、客観的に明白であつたということはできないと漫然判示しているのは、「明白性」についての解釈を誤つたか、これについて法律の適用を誤つた違法を犯しているものといわなければならない。

三、以上は昭和三六年分の所得税更正処分および重加算税賦課処分についてであるが、同様のことが昭和三八年ないし昭和四〇年分の所得税更正処分および重加算税賦課処分についてもいえる。

原告は「木下ビル一階の賃貸人がはたして右永田清次ほか四名であるかは極めて疑わしく」というが、木下ビル一階の賃貸人が永田清次ほか四名でなく上告人であると積極的に認定しているわけではない。「極めて疑わしく」と中途半端に疑をさしはさんだまゝ(この「疑」自体、乙第二〇号証の形式的な調査をそのまゝうのみにしただけの誤つた疑惑である。ことに、永田清次の言分に対し耳をかそうとしない調査官(長谷耕)に対し、永田がそれなら勝手にしてくれといつた言辞を、「追及に対し窮地に陥つた同人から税務署の処置に任せる旨の申出がなされた」と長谷が認定した旨再度にわたつて摘示援用しているのは、本件事案に対する裁判官の偏つた態度を物語つている)、一転して「仮に同人らが賃貸人であつたとしても、被控訴人が控訴人に対し右各課税処分をなした時点において、外形上、客観的にその誤認が明白であつたということはできない。」と判示している。

永田清次ほか四名が賃貸人であることを証する賃貸借契約書が存在し(甲第三九号証、第四五号証)、同人らが右賃貸借にもとづく賃料収入について納税してきた厳然たる事実(甲第四〇号証の一、二、第四一号証の一、二参照)があるにかゝわらず、(上告人に対する狙い撃ち捜査に狂奔する県警察に迎合するため)、単に賃貸借物件の登記簿上の所有名義人が上告人であるという一事のみから出発して、上告人が強引に賃貸人に仕立て上げようとした被控訴人の「誤認」が、もし誤認であるとしたら、なにゆえ外形上、客観的に明白でないと簡単に言捨てることができるのであろうか。原判決はこゝでも、「明白性」について法律の解釈、適用を誤まつている。

四、原判決は、あたかも本件所得税更正処分等に関与した税務官等は、通常の脱税事件におけるように、善意、中立で事案の調査処分にあたつたかのように、淡々と課税の経緯を認定している。原判決が各所で用いている「前叙各課税処分がなされた経緯に照らすと」、「同課税処分がなされた経緯に照らすと」、「右認定の経緯に照らすと」などという表現における「経緯」とは、そのような善意中立の税務官を前提とした課税経緯にほかならない。ところが、本件各課税処分はそのような通常の善意、中立、公正な税務官によつてなされたものではまつたくなかつたのである。こゝに本件の本質があり、上告人は原審においてこの点の主張立証をつくしたにかゝわらず、原判決は本件各課税処分における瑕疵の有無、その重大明白性の判断にあたつて、なんらこの点に考慮を払おうとしなかつた。むしろ意識的にこれを判断過程から排除した感がある。そのような態度では到底本件事案の真実をつかみとることはできない。「本件各課税処分には内容上の過誤があり、かつ、それが課税要件の根幹に関するものであつて、不服申立期間の徒過による不可争的効果の発生を上告人の不利益に帰せしめるのは著しく不当と認められる事情がある」との上告人の主張は、まさに右のような本件事案の本質、すなわち悪意と偏見を持ちかつ不公正な税務官(たゞし、税務官の個人感情を指すのではなく、税務官がとつた立場を意味する)による課税処分の経緯の上に成り立つているのである。それではその経緯とは何か。以下にこれを述べる。

1 上告人木下富雄の略歴

上告人は、昭和二二年ごろから郷里である熊本市に居住し、各種の事業を経営してきたが、昭和二八年一二月ごろ木下建設株式会社を設立してその社長となり、伊瀬知三郎を専務取締役として建設業を営んでいた。昭和三〇年四月、熊本市議会議員となり、以後三期連続してその職にあつた。この間、昭和三二年地方自治法の改正により兼職禁止となつたので、右社長の地位を伊瀬知に譲つて、議員の職務に専念するにいたつた。

ところで、熊本県における建設業界の集りとしては、県建設業協会があつたが、知事選挙の功罪によつて県営工事の指名に差別待遇のあることなどから不満が高まり、約八〇社の業者が右協会を脱会し、新たに熊本市建設業協会を結成した。上告人は、熊本市会議員の地位にあつたことから右協会の顧問となり、同協会に指名が公平に行なわれるよう尽力した。

昭和三八年一月、熊本県知事の選挙には、現職寺本知事の政策をするどく批判し、前熊本市長坂口主税を対立候補として推挙して、幅広い選挙運動を展開したので、再選された寺本知事から政敵として厳しい取扱いをうけるに至つた。

2 上告人に対する違法な狙い打ち捜査

昭和四〇年、熊本県警察本部長として景山氏が赴任するや、土建暴力摘発を旗じるしに暴力事犯の摘発を開始し、同年秋から翌四一年一月にかけて第一次、第二次の逮捕を行ない、右摘発は一段落を思わせた。

ところが県当局ならびに県警察本部は、右土建暴力摘発に藉口して、寺本知事の政敵である上告人に政治的、社会的打撃を加えんものと企図し、同年二、三月ごろから上告人を第三次摘発の主目標として徹底的な狙い打ち捜査を行なつただけでなく(七〇日間に二〇〇人の捜査員と一千万円以上の捜査費を投入したと豪語していた)、その旨を名指しで新聞紙上に公表し、上告人の名誉及び信用を著しく傷つけるに及んだ。

右の如き徹底的狙い打ち捜査にもかゝわらず、県警察は容易に被疑事実を造り上げることができず苦慮した結果、当時からすでに五年も前において上告人が道家貴治という悪質な菊人形師と支払代金をめぐつて口論したという事実があつたのを奇貨として(右支払代金については民事裁判で上告人にもともと支払義務が存在しない旨の判決が下りていることを知りながら)、右口論をもつて上告人が道家を支払請求を断念させた恐喝行為であるなどと構成し、これを理由に同年六月一二日、上告人を東京(折柄、上告人は熊本県警の前記の如き土建暴力摘発にからむ警察権の濫用ならびに人権侵害について国会に請願、陳情のため上京中であつた)において逮捕した。以後上告人は昭和四二年一月二五日まで実に二二九日間勾留をうけ、しかも六月一四日より一二月九日までの一七九日間は接見すら禁止された状態におかれたのであつた。なお、県警察は、右恐喝事件だけでは公訴を維持する自信がなく、加えて上告人を悪者に仕立て上げるのには不十分なところから、次々に確証のないでつち上げの犯罪容疑を作り上げて追起訴をした。

3 訴追の結果

右逮捕勾留にともなう刑事裁判においては、結局五つの公訴事実が審理されたが、その結果は次のとおりであつた。

1 恐喝……無罪、一審確定

(前記、逮捕の理由となつた道家貴治との口論の件)

2 公正証書原本不実記載同行使……一審、二審とも無罪

3 道路法違反不動産侵奪……二審無罪

4 入場税法違反……二審公訴棄却

(本件入場税に関する刑事事件)

残る一つの恐喝事件についてのみ控訴人は共謀共同正犯ということで実行行為に全く関与しないのに有罪(たゞし、執行猶予つき)となつたにすぎない。

右の如く、五つの公訴事実のうち、四つが無罪もしくは公訴棄却になるなどということは、我が国刑事裁判の常識からいつて到底想像も出来ないことであり、いかに熊本県警の捜査、立件が、犯罪の有無成否を度外視し、唯々上告人に政治的社会的打撃を加えることを目的として警察権を悪用した違法不当なものであつたかを明白に物語つている。

4 告発の無効が最高裁判所で確定

右のとおり、上告人に対する公訴事実中には入場税法違反容疑があつたが、これは上告人が事務局長をつとめた熊本商工会議所主催の熊本大菊人形博覧会と称する見世物が、熊本城竹の丸において、昭和三六年一〇月一日から二ヵ月間開催された時の入場税をめぐる事件で、本件で争われている入場税賦課決定はこれに関するものである。右入場税については、すでに詳述したようにこの種催し物に関する従前からの慣行に従つて、熊本税務署の担当係官と上告人の従業員との間で話合いがなされ、上告人はこれに基づいて定められた税額を法定納期に支障なく納付ずみで、なんら問題はなく、すでに五年近くを経過していた。上告人には脱税の意思など当初からなかつたのである。

しかるに、県警察は上告人に対する前記徹底的な狙い打ち捜査の際、たまたま入手した帳簿をもとに、右話合いの慣行を無視して、これを脱税事件として構成することを思いつき、昭和四一年六月一七日から七月一日にかけ精力的に関係人の取り調べを行なつたが、右事件につき公訴を提起するには訴訟条件として所轄税務官吏の告発が必要であつたところから、同七月四日、熊本国税局収税官吏浜田明男に容疑事実を通報し、右浜田をして、上告人には逃走および証拠いん滅の虞れがあるとの名目で(事実は上告人は前記のように接見禁止つきの長期勾留中で、保釈の見込みはまつたくなく、逃走および証拠いん滅の虞れがないことは明白であつたのに)、国税犯則取締法第一三条第一項本文に違反して、税務署長に報告することなく、直ちに告発状を作成させ、これに基づいて同年九月二二日公訴を提起したのであつた。

右違法な告発手続は第二審の福岡高裁において厳しく非難され、右告発は上告人の身柄拘束をめぐる当時の具体的事情について重大な過失に基づく錯誤があつて無効であり、かゝる無効な告発によつて提起された右公訴は不適法であるとして公訴棄却を言渡され、かつ、最高裁判所もこれを是認したのである。(甲第八号証)。

5 無効な告発との辻つま合わせ

本件入場税賦課決定は、右のように熊本県警が入場税法違反事件として取上げた熊本大菊人形博覧会の入場税に関するものであるが、右刑事事件を維持させ、これと辻つまを合わせるためには、税務署としても、そこで主張されている入場税のほ脱が実際に存在するとの前提に立つて、上告人に対しほ脱にかゝる入場税を賦課徴収するという態度をとらざるをえないことになる。そこで税務署は右入場税が時効にかゝる寸前である昭和四一年九月二九日、あわてて時効を中断する目的のみをもつて、あらかじめ上告人から事情を聴取するなどということは一切せず、かつ上告人の置かれた立場、状況にはいさゝかの配慮をすることもなく、入場税賦課決定通知書につき形ばかりの送達手続を行なつたというわけである。上告人が右通知を受けた昭和四一年九月二九日というのは、同年六月一二日上告人が不当な逮捕を受けた後、引続き接見禁止つき勾留に付せられている最中であり、かつ九月二二日前記入場税法違反容疑で公訴を提起された直後のことであつた。

上告人が本件入場税賦課決定等取消の前提として、一、二審を通じて主張したのは、右のように熊本県警の手先として、時効中断のみを目的としてなされた形式的な送達手続の瑕疵を指摘したものにほかならない。

6 昭和三六年分所得の更正は、菊博入場税のほ脱ということから、上告人にはほ脱分に相当する所得があつたはずであるという理由によつて、単純に導かれた結論である。また、昭和三八年分ないし昭和四〇年分所得の更正も、捜査の過程でたまたま入手した白鳥ビルの登記簿謄本の記載から、つまり同ビルの一階の所有名義人が上告人であるという一事から、同人が賃貸人のはずであるという理由によつて強引に導かれた結論である。いずれも上告人に対する前記熊本県警による狙い打ち捜査の延長上に立つている。

これらの更正処分に関する調査は、当時上告人をなんとしても刑事訴追に追い込もうと狂奔していた熊本県警との密接な連繋のもとに行なわれた。被上告人には当初から熊本県警の右のような姿勢に迎合し、これに歩調を合わせるという「偏見」があつた。したがつて、事実を正しく把握して、これに適合した公正な処分をするという態度ではなく、とにかく脱税事件を成りたゝせるための(脱税事件を成立させことは既定の事実だつた)形式を調えることに調査の主眼があつたのである。そのため、

<1> なんら脱税の意思もなく、担当税務官と話合つて、きめられた額を納めるという、昭和三六年当時行なわれていた通常の方法によつて納められた入場税について、すでに五年を経過しようとする時に、今更のように法律の規定を持ち出してきて、これを覆えし、

<2> 上告人の菊博収入を認定するのに、あらかじめ当人自身の説明、弁解をきくことを一切せぬまゝ、同人の菊博関係預金口座に預け入れられた金額をそつくりそのまゝ同人の菊博収入と勝手に断定し、

<3> 白鳥ビル一階の所有名義が上告人であるという一時から、永田清次他が賃貸人として締結している賃貸借契約書が存在するにかゝわらずあえてこれを無視して、あらかじめ上告人自身の説明、弁解を一切きくこともせず、同人を勝手に賃貸人と認定し、

<4> 上告人に事前に直接面接、事情聴取することを一切せぬまゝひそかに作成した入場税賦課決定通知書および所得税更正決定通知書を、時効寸前に、突如上告人が接見禁止のまゝ拘留されていた京町拘置支所に持参して、形ばかりの送達手続を履践しようとした。

これらの「経緯」に照らせば、原判決のいう「被控訴人が右各預金口座に預け入られた金額をすべて控訴人の収入と認定したことは、調査不十分のそしりを免れないとしても、……右瑕疵は重大でなく」などという判断はなさるべくもない。また、「仮に同人(永田清次)らが賃貸人であつたとしても、被控訴人が控訴人に対し右各課税処分をなした時点において、外形上、客観的にその誤認が明白であつたということはできない」などという結論が導かれるはずがない。

本件各所得税更正処分は、正にこれらの処分がなされた経緯に照らせば、重大明白な瑕疵があり、また課税要件の根幹に関する内容上の過誤があり、不服申立期間の徒過による不可争的効果の発生を上告人の不利益に帰せしめるのは著しく不当と認められる事情が存するのである。

第二、原判決は、弁論主義に違反しており、かつ、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、そもそも弁論主義とは、裁判の基礎となる資料即ち訴訟資料の蒐集を当事者の機能かつ責任とするものであつて、一般の民事訴訟で採用されていることはいうまでもないところである。ところで弁論主義の内容については、訴訟法上正面からこれを規定した条文はないものの、むしろ弁論主義を排除する規定及び弁論主義の反対の職権探知主義に関する規定から、逆にその内容が推知されるとされる。

そこで弁論主義の具体的内容として種々の重要な事項が論じられているのはもとよりであるが、本件上告に関連する内容としては、証明の必要性及び要証事実の証明に関することである。即ち、自白の拘束力に関することであつて、当事者間に争のない事実につき裁判所は疑をさしはさむことは許されず、必ずそれを裁判の基礎として採らなければならない。言いかえれば、裁判所は、自白された事実の存否を判断する必要がないのみならず、その事実を真実としてそのまま裁判の基礎としなければならないもので、たとい、証拠調の結果反対の心証を得た場合ですら、自白に反する事実を認定することは許されないのである。

二、行政事件訴訟法は、職権による証拠調を可能としている(二四条)が職権探知主義、認諾、自白に関しては、なんら規定を設けておらず、かえつて、行政事件訴訟法に定めがない事項については、民事訴訟の例によるものとしている(七条)。

職権による証拠調が認められてはいても、常に積極的に裁判所が証拠調をなすべき義務があるというのではなく、裁判所がある事実について充分な心証が得られないのに、当事者から証拠申出がされないとき等に職権でなし得るというに止まつている。即ち、「裁判所が証拠につき充分心証を得られない場合、職権で証拠を調べることができる旨を規定したのであつて、裁判所は、証拠につき充分な心証を得られる以上、職権によつてさらに証拠を調べる必要はない」(最高判昭二八、一二、二四)とあるのは当然のことである。

そこでこの行政事件訴訟法七条の規定の解釈から、自白の法則は、行政事件訴訟にも適用されると解するのが一般である。雄川一郎、行政争訟法(二一二頁)は、「行政事件訴訟における職権主義に関する一の問題として、裁判上の自白に関する法則の問題がある。これは特例法九条の意義を職権探知を含めて解すれば、その原則と矛盾する訳であるから、行政事件訴訟に適用はないことになると考えられるが、そう解しない場合は、特に自白の法則を排除するほどの理由を見出すことは困難であろうと思われる。(自白の如き訴訟資料の価値の問題は、行政実体法における当事者自治を否定する原理と当然に衝突する訳ではないと思われる)」としている。

従つて、本件事件においても、自白の法則は適用があり、従つて、当事者間に争いのない事実は、これを裁判の基礎としなければならないものである。

三、昭和四二年一月一一日付の昭和三六年分所得税更正決定及び同重加算税賦課決定は、上告人木下富雄及び訴外亡黒田博之が共同で、昭和三六年一〇月一日から同年一一月末日まで熊本市内本丸一番地熊本城内において開催した「熊本大菊人形博覧会」に関する上告人の所得にかかるものであることは被上告人の主張するところである。

く)か、精々三一、九二八、九三〇円(右金額に長谷調査額三九、五二〇円を加算)にすぎず、一方支出は三一、四八〇、二六三円であるから、その差額は精々四四八、六六七円か、四〇九、一四二円にすぎない。

このように、弁論主義に基づいて本件の事実を認定すべきであるに拘らず、漫然被上告人の主張を追認した原判決は弁論主義に違反し、判決に重大な欠陥をもたらしたことは明らかであつて、破棄は免れないといわねばならない。然して、かくの如き所得に対し、被上告人のなした本件更正決定が重大な過誤を犯した無効な決定であることは当然のことである。

第三、原判決は、雑所得とは、利子所得、不動産所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得及び一時所得以外の所得であり、その金額はその年中の雑所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額であつて、たまたま雑所得を構成する費目の収入額と認定されたものが、その費目の実際の収入額と異つていても、認定にかゝる雑所得全体の総額が実際の所得総額と一致していれば、雑所得の認定に違法がないというが、これは所得税法に違反したもので破棄されるべきである。

一、所得とは、個人に帰属する経済的利益をいうが、所得税が課される所得は、その発生原因や担税力の相違等によつて、法律上、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、一時所得及び雑所得の一〇種類に区分されている。ところで雑所得は、右九種類までのいずれにも該当しない所得であることはもとよりであるが、それは単なる九種類以外の所得であるものの総称にすぎず、現実に雑所得なるものがあるわけではない。従つて、たとい、雑所得の金額が、その年中の雑所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額であるとしても、雑所得自体があるわけではなく、単に雑所得とされる前記九種類以外のもろもろの所得があるのであつて、かゝる個々の所得がすべて雑所得の範疇に属することが明らかにされた上で、はじめてその総合計を雑所得の収入として合算されることが許されるにすぎない。

二、ところで、本件の雑所得収入については、単なる雑所得ではなく、前売券収入、入場券収入、広告代収入、小間料収入、賛助金収入、電話料収入、タバコ売上、雑収入、奉讃金収入の九種類の収入があるのであつて、これは上告人の主張するだけでなく、被上告人もまたこれを認めている。即ち、当事者間に争いなき事実である。従つて、前記第二で述べたとおり、裁判所においても、雑所得としてではなく、以上九種類の各所得があるものとして、それぞれの収入額を認定しなければならなかつたものである。

然して、各所得額について、前記第二記載のとおり当事者間に争いのない所得の種類及び金額は九種類中実に八種類に及んで右博覧会に関する上告人と被上告人の主張額を対比してかかげれば別表のとおりである。

(1) 収入に関しては、前売券、広告代、小間料、賛助金、電話料、タバコ売上、雑収入、奉讃金の各収入については、当事者の主張額は一致しており、争がない。

なお、受取利息については、課税上の区分たる雑収入に含まれないということであつて除外され、上告人はこれを争わないから、これまた、争いのない事実といえる。

そうすると、争いのある収入は、当日売入場券の収入である「入場券収入」が、上告人の主張する二、六一五、八六〇円であるか、被上告人が主張する一〇、九六九、三九二円であるか(もしくはその間の金額であるのか)、いずれにしても最大限八、三五三、五三二円の入場券収入の存否のみが争いである。

(2) そこで、被上告人の雇人である長谷が当時右収入関係を調査報告したものだとされる乙第二〇号証には、右当日売り収入金額に三九、五二〇円を加算すべきものとしているだけで、その加算の根拠については全く記憶がないと証言している(長谷証言第二回57、58項)。そして被上告人の昭和五一年七月一五日付準備書面の金額は、「これを見たのは今日はじめてでございましてわかりません。」と証言(同93項)するに至つている。

以上によつて、当日売り入場券収入は、一〇、九六九、三九二円である主張は、本件更正決定がされた時点において全く考えられていなかつた金額であり、かつ長谷が調査した上告人主張額(かつ申告額)二、六一五、八六〇円に三九、五二〇円を加算すべき根拠理由も全く明らかでない旨の証言がある以上、本件当日売り収入は上告人主張通りと認定する以外にない。

(3) 続いて支出の部に移る。

支出についても、上告人、被上告人の主張額中一致するものも少くない。しかし、要するに被上告人の主張額の合計は三一、二八九、五六八円であり、被上告人のそれは三一、四八〇、二六三円であつて、被上告人の主張の額の方が一、〇八六、九五〇円だけ多くなつている。

そうすると、支出についても争いのある額は、たかだか一、〇八六、九五〇円にすぎないが、支出については上告人がこれを争わないとするとすれば、被上告人の主張額三一、四八〇、二六三円が裁判の基礎とされるべきものである。

四、以上を総合すると、上告人の収入の総額は三一、八八九、四一〇円(上告人主張額三一、九二六、八六一円から受取利息をひおり、争いのある所得は入場券収入ただ一種類にすぎないのである。

原判決は、この区分を無視し漫然雑所得の総金額が実際(実際がどうであるかを云々すること自体が前記第二のとおり弁論主義違反である)の所得総額と一致している一事をもつて、違法でないとするのは、法令の解釈を誤つたものでかつこれが判決に影響を及ぼすことは明らかなところである。よつて、原判決は破棄されねばならない。

第四、原判決は、経験則を無視した誤りがあり、破棄をまぬがれない。

一、被上告人が本件更正決定をなすに当つて、肥後相互銀行の上告人名義普通預金口座及び中島朗名義普通預金口座の預け入れ額を単純に合計した金額をもつて収入額としたものであることは、被上告人が自認するところであり、かつ、証人長谷らの証言するところでもある。

二、ところで、この点に関する上告人の主張は、右の如く預金通帳に入金された金額を直ちに収入額と認定することは、経験則上個人の預金通帳には、借り入れた金、預つた金を入金することがあり、また、一度払い戻しをうけた金を再度預け入れることもあるものであることが経験則上明らかなことである以上、漫然預金の入金額を単純合計することは経験則に違反するもので収入額を認定したことにならないとするものである。従つて、被上告人において右預金通帳入金額は、前記各収入(前売券収入以下の収入)以外の金は入金された事実はないとか、右通帳以外の帳簿等の資料によつて預金入金額が収入額と一致するとかの資料を提出したのなら格別、これに関する資料を何ら提出していない本件訴訟において、単なる通帳入金額をもつて上告人の収入の総計となしたのは、経験則に違反するものであつて破棄をまぬがれない。

三、もつとも、原判決は、右認定は調査不十分のそしりを免れないとしても、右瑕疵は重大でなく仮に重大であつたとしても外形上、客観的に明白であつたとはいえないという。しかし、右判旨ともに全くの誤りであつて、この点においても原判決は破棄を免れないものである。

けだし、被上告人は本件更正決定をなすに当つては、当然既に確定申告をなして四年余を経過する上告人の所得に対し更正決定をなすのであり、税務官として国民に不利益な決定をなすのであるから、出来る限りの調査を尽してのちなすべき義務あることはいうまでない。しかるに、被上告人は熊本県警から入場税逋脱容疑について通報をうけるや漫然県警察の資料を入手したのみで、本決定に及んだものであることは、本件訴訟資料に照らし明らかなところである。

従つて、調査不十分のそしりを免れないどころではなく、調査そのものも行つておらず、資料の検討、ひいては収入の種類と金額について何ら確たる認定を行つていないのが実体である。

かくの如き更正決定において重大な欠陥瑕疵があるのはけだし当然というべく、右経験則を無視して単純に入金合計を行つたのみということは、極めて重大な瑕疵といわねばならない。つまり、これほど明白な違反というものがある筈のものでない以上、その違反の結果は極めて重大となること論をまたない。上告人は、永田、村上、木下辰則、らの証言によつて右通帳に有限会社白鳥、木下辰則、弘乳舎の売り上げ金等が入金された事実を立証したのであるが、これは単にかゝる事実が存するということではなく、当然経験則違反の収入である以上重大かつ明白な瑕疵があるものであることを前提として、しかも、事実において、かゝる預り金が入金されている事を立証したものにすぎない。

なお、瑕疵の明白性の不必要性については、既に述べたところである。

別表1 収入の部

<省略>

別表2 支出の部

<省略>

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